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◎梶原隆広代表の主な試合戦績

1985年 全中国空手道選手権大会(無差別) 準優勝
1985年 全関西空手道選手権大会(無差別) 準優勝
1986年 第4回西日本各県下道場交流試合(無差別)  優勝
1986年 第3回全日本空手道選手権大会(軽量級)  優勝
1988年 第5回全日本空手道選手権大会(軽量級)   優勝

1965年生まれ  中学に入学と共に柔道を始め武道の道を歩き始める。高校1年で初段を取得。高校生柔道西播地区大会において軽量級で優勝。県大会に出場を果たすも緒戦敗退する。柔道の稽古を通じて身体が小さいことの不利を痛感し高校3年の時、極真空手を始める決意をする。そして講道館柔道2段を取得した事を機に極真空手を始める。当時は住んでいた姫路市内には道場がなく家から姫路駅まで自転車で30分明石駅まで電車で1時間程かけて離れた中村誠師範の極真会館中村道場明石支部まで通って中村師範の直接指導を受けた。柔道の下地もあり短期間で頭角を現し姫路道場開設に携わる。入門1年で全日本大会に出場。その一月後に昇段する。中村道場でも異例のスピード昇段であった。
1年間の社会人経験を経て中村道場の内弟子となり研鑽を積む。地方大会で活躍、そして第3回全日本空手道選手権大会において優勝を果たす。極真会館大山倍達総裁より「根性の男」と称賛される。その後第5回全日本大会においても再度優勝をし「軽量級で一番パワーがある」と大山総裁から賞賛された。そして競技としての空手を卒業し一時期空手界を離れる。
実生活においての空手道を見直すためサラリーマン、政治活動(衆議院議員立候補者秘書)の経験を経て神戸市内において株式会社(警備会社)を起業する。そして1995年のあの阪神淡路大震災に被災する。その経験は今迄の価値観を崩し人生や人の命の儚さを目の当たりにする共に空手道、武道修練の素晴らしさを痛感する。そして同年警備会社を実姉に譲り極真会館として三重県に空手道場を開設するに至る。道場は桑名、四日市、菰野、鈴鹿、津、松阪、伊勢にまで展開し空手道の普及に尽力してスポーツとしての空手より武道精神を追求し日本人として世界に誇れる極真空手道の再構築を夢見て、現在 武道空手の精進に努める毎日である。


 

​代表 梶原 隆広

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