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​主席師範 大西 陽

(三重南勢地区本部長)

1971年12月1日兵庫県に生まれ、大阪に育つ。中学、高校とラグビーに明け暮れる。社会人となった後もチームに所属し、29歳までラグビーを続ける。ラグビー引退後、極真会館三重支部梶原道場に入門。各種大会に積極的に参加し、全日本大会にも出場を果たす。

選手として引退を下後も修行に励む中で、梶原師範に

認められ2007年6月より支部長を任命され、その後

梶原道場三重南勢地区本部長を拝命する。​


 

​相談役 伊藤 雅

(四日市支部師範)

50才を過ぎてから縁あって梶原師範と知己を得たことにより梶原道場に入門。自身は東海地区に40店舗以上を展開する美容室「おしゃれ泥棒」のCEOながら一門下生として修練を続け本業に多忙ながら61才の時に昇段審査に挑戦し見事に10人組手を完遂し昇段を成し遂げる。

​道場においては一門下生として練習を続け仕事にも力を抜かず、道場経営に関しても今までの経営ノウハウを生かし梶原道場の相談役として活躍しています。


 

​医事委員会委員長 伊藤 献之

(梶原道場主席師範代)

伊藤師範は極真空手を69才で始められました。しかし以前は桑名市で隆盛を誇った西山流空手(小田切是彰宗主)の師範代でありました。小田切宗主が亡くなられ西山流空手がその歴史に終止してから長年の念願であった極真空手の門を叩いたのでした。その空手の下地と生来の真面目な努力をもって入門僅か1年で昇段試験に挑戦し70才で十人組手を実力で完遂、昇段しその2年後には二段に昇段を決めました。本業は鍼灸師である。鍼灸師としての腕前も相当なもので現役時代の横綱大鵬関から絶大な信頼を受けその治療に長年務めたりしていました。現在は当道場医事委員会を務める傍ら息子嫁の接骨院健志堂で患者の治療に当たっている。現在76才、現役。


 

​師範 鷲野 善明(四日市支部長)

​四日市道場開設時からの門下生で現在一番の古参弟子である。現在三段。四日市支部責任者。


 

​師範 伊藤 徳正(桑名支部長)

少年時代より父の伊藤献之師範と共に西山流

空手拳法柔術を学んでいたが、父と息子と三代で念願の地上最強のカラテ、極真空手の門を叩き、梶原隆広会長の弟子となった。今では家族7人で梶原道場にて

稽古に励んでいる。職業は大学教員であり、学者と

して教育・研究に勤しむ毎日である。文武両道を体現

すべく日々の努力を怠らない。空手道を追求することによって、人として生きる道筋を見つけることが

できると考えている。

桑名観音寺道場責任者。桑名フルコンタクト会会長。

愛知学院大学同好会責任者。二段。趣味は自転車。


 

​師範 内藤 教匡(桑名大山田教室責任者)

​高校卒業後、豊橋から就職のために三重県桑名市に転居。そして極真会館 三重支部(現極真会館梶原道場)の師範である梶原隆広会長(全日本大会2回制覇)に憧れ極真空手道の門を叩くこととなった。昼は会社員として働き、夜は道場で 汗を流す日々が続いた。そして空手歴も5年になろうかという頃に昇段審査に挑戦。失敗してしまう。今まで死ぬ物狂いで一生懸命やってきて失敗するはずないと思っていたのでショックは大きかったが気を取り直し再度挑戦するもまたもや失敗。その時に空手道とは奥深く厳しいものだと実感する。結局3回失敗してしまったが4度目において見事昇段に成功する。そしてその失敗がその後の内藤師範の人生を決めた。何事も全力で当たり、油断は挫折に繋がることを身に染みて理解しており会社を退職後、自営を始め、持ち前の根性とバイタリティで会社を軌道に乗せるとともに空手道の修行も弛み事無く精進し、桑名市立大山田東小学校体育館において桑名フルコンタクト会代表として後進の育成と指導に当たっています。


 

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